血肉に刻み付けたい暴力的なまでの言葉の数々。「たった一人の熱狂」
今までに幻冬舎の小説を何冊読んだか分からないけれども、
社長の名前は全く知らなかった。
正直に言って、興味がなかった。
たまたま「見城徹」という名前を知ったのは3週間ぐらい前。
けれども、その名前を忘れることは一生ないと確信している。
そう断言できるほど、凄まじい本に出会えたことを嬉しく思う。
文庫化はめっちゃ最近。
こっちの方が顔が大きくて、画像的にいいね。
舌を下あごの方に突き出して、こちらを睨みつけてる男性。
この表紙を飾っているのが、幻冬舎の社長でもあり、この本「たった一人の熱狂」の作者でもある見城徹さん。
この本を読んだ自分の感想を一言で表すと、「悔しい」という気持ちに近い。
本来なら印象に残ったところを引用して、いろいろ書きたいけどメモの量がおかしなことになってる。
だけど自分の人生経験や思考量、下した覚悟の回数が乏しいせいか、メモ書きに出てくるのは薄っぺらい言葉ばかり。
それも悔しくて。
ブログのタイトルは、捻り過ぎた感じもする。
国語辞典的には「血肉にする」、「心に刻む」
というのが正しい表現だし。
それでもこう付けた。
「血肉にする」とか「心に刻む」という表現じゃ、物足りない感じがした。
見城さんが書き綴った文章は、濃くて、ギラギラしていて、人間身溢れる言葉ばかりで。
その言葉に、いい意味で暴力的なまでに打ちのめされた感覚を、どうにかして表現したかった。
これが今の僕にできる精一杯の表現。
本書は見城さんの強い主張の部分が、太字で強調されてます。
けれども、僕が好きな一文はたんたんと書き連ねられていたこの文章。
縮小を続ける斜陽の出版界で、僕のように編集、営業、宣伝、経営、そして社外の外交もすべてこなせる人間がいるのだろうか。
将来の利益がゼロになる可能性も考えつつも、斜陽の出版業界に拘る覚悟。
反語の表現に込められた、圧倒的なまでの自信、自負。
もちろん、そう述べるだけの成果を数字として残している。
ビジネスにおいて、数字はシンプルで裏切らない。
かっこいいなと思いました。
一応まだ20代前半だし、若者の一人として思うのは。
若者にとっては、ちょっと古臭い言葉があるし、そんなのカッコ悪い!!
と言いそうな言葉があったりします。
GNOは絶対死守
まずGNOってなんだよ!?って感じですよね。
GNOは「義理」「人情」「恩返し」の頭文字。
恩返しとかは言葉にしても、義理人情を口にする大学生は少ない気がする。
古臭くてダサい。みたいな感覚があるんじゃないかな。
けど、別にそれでもいいと思う。
自分のなかで大切にしておけば、わざわざ口にする必要はない。
行動で示せばいいと思うから。
この本は7つの章から構成されていて。
個人的には、見城さんの人柄が感じられる
第四章「切なさを抱えて生きる」が一番好きですね。
「死」についても書いてあるので。
まずこの章題の表現が好き。笑
その4章の1つに
野心なんか豚に食われろというものがある。
ここでは、若かりし頃の見城さんが、学生運動に影響を受け、革命を起こそうと考えていたことが描かれています。
「青春の墓標」や「二十歳の原点」を読んだ当時、僕は心から共感した。
社会を変革し、人々を幸せにするために命を懸ける。
そんな生き方が愛おしくてたまらなかった。
理想に燃えて革命を夢見たものの、世界はまるで変わらない。
そのことに絶望して死を選んだ、奥浩平や高野悦子に、僕は借りがあると今でも思っている。
これだけだと、ヤバい奴じゃん!!と言われること間違いない。
なので後日談の方から補足。
熱狂は無理にすることはできないし、ほかの人がすごいと言っていることにも熱狂できない。
だから、自分が出会ってすごいと感じ、「俺の手で何とかしてやろう」と思ったときに熱狂がはじまるわけですよ。
見城さんは、「熱狂は才能に対して起こるもの」と言っています。
編集者として様々な作家に「熱狂」して、どうにかして本を出そうとした。
その結果として、
奥浩平や高野悦子が命掛けで憎んだこの世界が、いかに憎いか。
僕の成功と出世によって、逆説的にこの世界の醜さを証明してやるという意気がりがあった。
このことを21歳で決意した、ということが衝撃でした。
今の自分よりも若い!!
結果として実現してみせたことに、非常に敬意を覚えます。
副題が「仕事と人生に効く51の言葉」とあるように、非常に刺激的な本。
いろいろ書きたいことはあったけれども、薄っぺらい言葉しか出てこなくて。
だからこそ「百聞は一見に如かず」ということで、騙されたと思って直接読んで欲しい一冊だなと思う。
幻冬舎がますます好きになりました。
見城さんが元気でいて欲しいので、幻冬舎の本を買っていきたい。
僕に出来ることは、それくらいかなと思うので。