ガースー日記

笑ってはいけないネタに惹かれて、昔は黒光り日記、というブログ名でやってました。(大学生のノリでした..)

海外に留学中だけど、TECH::CAMP始めてます。

東京にいる間に、TECH::CAMPの体験会に行きました。

そのときに書いた、だいぶ前の記事がこちら。

drizzlyrain.hatenablog.com

あれから、もう4カ月以上経ってるんですね。早い。。

申し込むことは僕のなかで確定だったので、ビザの取得に手間取ってる間、東京で連日短期バイトしてました。

そのお陰で、TECH::CAMPでの勉強をスタートさせてます。

 

もちろん本業は研究。

それに英語の勉強は欠かせないし、本や論文も読みたい。

体型維持のために筋トレやランニングもしたい。

ブログも書きたいし、息抜きに酒を飲んでニコ動を見たい。

 

ここにプログラミングが入ると、本末転倒かな?とも感じなくはない。

だけどこの一年、僕はやりたいことを全てやる、という意気込みでいます。

せっかくの休学だもんね。

二兎追って、二兎得たい。

f:id:drizzlyrain:20160825204730j:plain

TECH::CAMPは

「平日に3時間、日曜に6時間の勉強時間を割くことを念頭に置いている」

ただし、これは1カ月コースの場合。

なので2カ月コースで申し込みました。

 

とはいえ、やる気が全くでなかった時期に課題を溜めてしまいまして。

自己責任なのですが、しばらくブログの更新を減らしますm(__)m

 

申し込みにあたって、神里さんという方にお世話になりました。

なので勝手にですが、彼のブログをご紹介します。

utina.yoshitokamizato.com

神里さんはタイトルにもある通り、研究者として働いている方です。

ブログを始めた頃に、研究関連で面白いことを書いている人はいないかなーと思ってて。

たまたま見つけてから、ずっと注目してました。

 

神里さんの専攻はバイオ系。

僕とは異なる分野だけど、共感するところはたくさんある。

ちょっと紹介してみたい。

utina.yoshitokamizato.com

僕は北大とマイソールでしか研究したことがないですが、尊敬している人たちはたくさんいます。

そこに年齢は関係ない。

先輩でも後輩でも、すごいなと思う人はたくさんいる。

 

神里さんはいくつもの点を挙げていますが、11個全てを満たしている人はほぼません。

だけど、優秀だなぁと思う人には共通点がある。

 

それは、挙げられているいくつかのポイントがずば抜けていること。

 

やっぱり平均的に能力があるよりも、ずば抜けたものをいくつか持ってる方が圧倒的に強いと思いますね。

だから欠点をどうにかするんじゃなくて、長所を伸ばし続けるべき。

 

utina.yoshitokamizato.com

タイトルからして引き込まれるものがありますね。

ちなみに、僕はまだこの本を読んだことがないです。

 

文章を書くのが上手い人のブログを読んでると、本を読まなくていいかな?って思ってしまうんですよね。笑

ただ、ストレングスファインダーにはちょっと興味持ってます。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

 

かなり赤裸々に評価されるということで、日本語訳バージョンを手に入れたらやってみたい。

 

神里さんが挙げている「専門分野にばかり目を向けてはいけない」という点は強く共感します。

 

TECH::CAMPを始めたのは作ってみたいものがあったのと、プログラミングの思考ができると見える世界が違うのかなと思ったから。

あとは教養としての役割。

 

今から学習して、ゴリゴリのエンジニアの人に追いつくのはちょっと大変かもしれない。

 

だけど将来自分が何をすることになっても、ITが関わらない仕事って存在しないと思う。

そんなときに、プログラミングの知識と経験を役立てたい。

 

奇しくも神里さんも英語とプログラミングを挙げてますが、正直それぐらいしか僕には思いつきませんでした。

 

しばらくの間、更新頻度がさらに減るかも。

自分が何を作りたいのかは書いておきたいですね。

単なるプログラミングの勉強で終わるんじゃなくて、自分の想いを可視化するための手段だと思う。

 

あとは自分の性格的に、宣言しないとサボりそうなので。。。

長所じゃなくて、欠点ならめちゃくちゃ分かるんだけどなぁ笑

なんとなくインドっぽい写真が集まったのでコメントしてみる。

てきとーに撮った写真をあげていくだけの回。

インドクオリティが伝わるような写真を集めたつもりです。

といっても、1日分のブログネタにするほどじゃない、選りすぐりの写真達。

どうぞ、ごらんください。

 

遠近法とかそんなテクニックは一切無し。

ある方向からは薄っぺらいように見えるけど、尋常じゃない大きさの幹。

 

どことなくバブリーな感じがしたイルミネーション。

まあ実際はバブルを知らないのだが。

 

なんとなくインドっぽいなと思った光景。

たぶんタージマハルの先っぽのような見た目の建物があれば、インドっぽいと感じることが多い気がする。

・・・うーん、このちょろさ。そんな理由でいいのか俺。

 

たまたま何かの抗議運動中。ストライキですかね?

右側のムスリムのおっちゃんが、解放的な姿をさらけ出しているのは気のせいじゃないです。

ですが、変質者ではありませんよ?

 

なぜかというと、下にショートパンツみたいなのを履いてるのを何度も見てしまったから。。

おっさんのそんな姿いらんわ。

 

インドっぽいなと思うオブジェ。

いくらバナナがたくさん生えてるからってやり過ぎじゃない?笑

 

この写真を見て、前の方が空いているなーって思いません?

なんで左側の人たちは密集してるのか。

なぜかというと、インドのバスは基本的に女性が前方、男性が後方に座ったり立ったりします。 

限度はあるけど、後方だけ人口密度が凄いときもあるんだぜ。

 

買い物してレジにあったやつ。

日本人だとvery goodとかvery badを押すことは少ないのかな?

とりあえずGoodにしとくか、みたいな。

インド人はどうなんだろう。

 

えーっとですね、この写真を撮ったのは7月24日でした。

海外の表記だとこの日は、24/07/16になりますね。

ねえ、そんなにジュースって売れてないの??

商品が入れ替わらないのか、新しいものばかり買われていくのか。。

 

僕は我慢できずにジュースを買ったら、久しぶりにお腹を壊しました。笑

関係あったのかは、ちょっと分からない。

 

さすがに矯正して、この形になったと思いたい。

 

トラックの模様が可愛らしい。

車に連結させたら、見つけにくい所に書く遊び心。

 

なんか道端に置いてありますね?

 

近づいてみる。

首を垂れる稲穂、な訳がなくホウキでした。

こんな感じでインドでは、道端でよく物が売られてます。

 

反対車線から撮ったので小さいけど、道端で服を試着する人々。

他によく売られてるのはバイクのヘルメットとか。

 

これほどのバリエーションがあるのはあんまり見ないかも。

自転車の空気入れを道端で手に入れることになるとは思わなかったぜ。

 

自転車屋の隣にある肉屋さん。ワイルドだろぉ?

 

洗濯屋さんって言えばいいのかな?

午前中に服を洗って干して、午後にバイクでお届けに向かうみたい。

日本のように、一日中雨が降ることは滅多にないからこそできる商売のような気がする。

 

インド版タクシー、「オートリクシャー」

こじんまりしたデザインが良いですね。

日本のようなメモリーはあるけど、使われたところは見たことない。

運転手の経験とカンで代金が決まります。

ぼったくられないように、乗る前に必ず値段を聞きましょう。

 

マイソールの動物園での一枚。

柵の意味なくない?

こんな感じでした。

てきとーにいい感じの写真が溜まったら、またやります。

留学してるけど、そもそも英語を学ぶ意味はあるのか。

オリンピックの閉会式すごかったですね!!

 

椎名林檎さんの音楽だとすぐに分かったし、白と赤を基調とした演出の数々。

そして日本が誇るキャラクターが躍動している姿。

君が代もカッコよくて、毎回ああいう感じで流れたらいいのに、と思いました。

 

安倍首相の演出も、日本とブラジルの地理的な関係やソフトパワーを押し出してる感じで良かったなあ。

【世界が感動】リオ五輪閉会式の東京五輪への引き継ぎ式 by saigou3 政治/動画 - ニコニコ動画

閉会式の映像を友人に見せたら、

小さい頃にスーパーマリオブラザーズをやったよ!!

というマリオの話で盛り上がりました笑

 

単語が分からなくても、別の言い方を考えて、すぐに伝えられるようになりつつある。

そういう段階になってきたので、英語でのコミュニケーションが楽しい。

まだまだ目標にしてるところは遠いけれども。

 

そんな訳で、英語の勉強や翻訳についてちょっと考えてみたい。

f:id:drizzlyrain:20160823020443j:plain

ドラえもんの世界がやってくる。

空想科学読本って読んだこともある人は多いのかな?

中高生のときはアニメの世界にどっぷり浸かってましたが。

その実現可能性をクッソ真面目に検証する、このシリーズは大好きでした。

印象的な場面がたくさんありすぎて、それだけでブログが書けそう笑

 

例えば、タケコプターが実際に存在していたらどうなるか?

 

結論から書くと、頭の皮膚が剥がれて、ヅラのように一部だけが飛んでいく。

 

その途中の描写はグロテスクだけれども、科学者らしく淡々と言葉が紡がれていたような気がします。

夢がないですね、はい。笑

 

ドラえもんの道具で欲しいと思った道具はたくさんあるでしょう。

その中でも「翻訳コンニャク」の実現化が近いかもしれません。

 

精度がどんどん上昇している最近のアプリ

翻訳アプリで誰もが使ったことがあるのが、グーグル翻訳やエキサイト翻訳ですかね。

英語の勉強や課題等でこれらを使い、めちゃくちゃな翻訳がされて、笑ったことがある人も多いでしょう。

それで結局、自分で考えるんですけどね。

 

精度が低いお陰で、勉強せざるを得なかった面はあると思います。笑

ところが、最近のアプリは凄いですよー

voicetra.nict.go.jp

翻訳だとやはりGoogleAppleが強いですが、日本勢を応援したいのでVoiceTraを挙げてみます。

 

無料なので、気になる人は試しに使ってみてください。

最大で31言語まで対応しているところも衝撃的。

 

翻訳されやすい文章であれば、これを使って外国の方とコミュニケーションできると思います。

長文すぎたり、日本語特有の微妙なニュアンスを表現するのは厳しいですが。

 

例えば「〇月△日までに~できる?」と聞かれて、

「ちょっと難しいですね」と答える。

 

アメリカ人の発想だと「大変だけど出来る」と解釈されて、がんばってねと言われる。

だけど、日本人の発想的には「無理だけど、はっきりと否定するのはよくないからぼかす」言い方ですよね。

 

この例は厚切りジェイソンさんが挙げてて、さすがだなと感心しました。

こういうことが分かるレベルまで英語を操れるようになりたい。

 

英語を勉強する意味はあるのか?

じゃあ本題に入りましょう。

 

試しに使ってみてくれた人は分かると思いますが、アプリの精度がすごくないですか?

そうすると、英語なんて勉強しなくていいんじゃないかと思いません?

だって、どんどん正確になっていきますよ、これから。

 

この文章を読んでくれている人はどう思うんだろう?

 

僕はそもそも、この二元論で考えるのが良くないと思ってます。

タイトル詐欺的な面はありますが。

 

勉強したいならすればいいし、アプリを使いたいなら使えばいい。

 

確かに、留学した目的の1つは英語を自由に操れるようになることだけど、それは最低限の目標。

そのうちITが発展して、外人とのコミュニケーションに困ることは少なくなると思っていたので。

 

だけどそれって、自分の伝えたいことは本当に相手に伝わっているの??

 

アプリを使ってしまったら、自由に話す選択肢がない。

少なくとも、自分が話す言葉ぐらいは自分で選びたい。

言葉の強弱とか、間とか、微妙なニュアンスや感情をどうやって表現するかはすべて自分のもの。

 

もちろん今は、こんな偉そうなことを言える次元じゃないけれど。

だからシコシコ勉強してる訳で。

 

あとは英語を話せたらカッコいいなとか、仕事で有利になるかなー?とか、もちろんそういう思いもあったけど。

 

根本はコミュニケーションを楽しみたいっていう思いかな。

自分の言葉で英語を話せたら、単純に人生楽しそうじゃないですか。

機械に負けずがんばるぞー。

日本人の考え方をインドに持ち込むと苦しいなぁと思った話。

リオオリンピックも終わりですね。

結局放送は1つも見れず、YouTubeで気になる試合をチェックしてました。

やっぱりスポーツはいいなあ。

 

オリンピックは、自分の国を強く意識するイベントだと思う。

日本の選手の活躍を誇りに思って、感動して、涙を流す。

今回もたくさん泣いたオリンピックだったなあ。

 

4年後の東京オリンピックも楽しみですね。

自国で開催されることはなかなか無いと思うので、会場でも見てみたいなぁ。

 

時間に対する感覚が違いすぎる

オリンピックの話はこれくらいにして、日本人は働き者だと言われます。

welq.jp

このデータによると、1日の労働時間は平均9.1時間らしい。

他のサイトによると、35か国中、28位という労働時間が少ない国、日本。

サービス残業がどうなってるのかは分かりませんが。

 

そして社会人にとって常識でもあるのが、遅刻をしないこと。

遅刻をしたら、仕事ができない人だと認識されます。

 

その点、インド人はすごいですよー

約束の時間通りに来ることは少ないし、遅いなと思って連絡しないで待ってるとすっぽかされることもしばしば。

 

遅れたことに対して、謝られたことはないですね笑

 

仕事では結果出してる友人だし「遅刻をする = 仕事ができない」という法則みたいなのは成り立ちません。

 

仕事の話だと、ケーララでの教育実習は印象的でしたね。

 

朝起きたら、友人が学校に行く支度をしてるのが普通だったんですけど。

その日はベッドから出てくる気配がなくて、聞いてみたんですよね。

 

今日は学校へ行かなくていいの?みたいな感じで。

そしたら、何て返事が返ってきたと思います?

f:id:drizzlyrain:20160821203701j:plain

友人「今日は疲れたからいいや。」

 

いやいやいやいや。

 

ちょっと待ってくださいよお兄さん。

そんな子供みたいな理由でいいの?

 

許されるんだな、これが。笑

 

前日にたくさんのクラスをチェックしたから十分らしい。

ノルマとかあったのか知らないけど、ガバガバかよ。

 

遅刻に関してはともかく、仕事への責任感とかどうなってるのかは謎。

全てのインド人がそうではないことを祈るばかり。

 

仕事に対する考え

僕は修士の学生なので、研究 = 仕事に置き換えて話を進めてみたい。

日々の生活における仕事って、皆さんのなかではどれくらいの比重を占めますかね?

 

もちろん長時間働くということが、大切なことではないのはよく分かってるつつもり。

だけど僕の場合、土日に予定がなかったら研究室にはよく行ってました。

 

サービス残業じゃないけど、夜遅くまで残って、家には帰って寝るだけ、みたなこともありましたし。

ここら辺が、有機系の研究室はブラックと言われる理由なのかも。。

 

ここで少し考えてみたい。

 

日々の生活において、大きな割合を占めてた仕事ができなくなったらどうなるのか?

 

たぶん、嬉しい人がほとんどですかね。笑

とりあえずどっか行くかー、って友人に連絡し始めるでしょう。

 

だけど、それがずっと続いたらどうなるか?

仕事人間の人は戸惑いを覚えるんじゃないかな?

 

理由は僕がそうなったから。笑

 

まじめに考えると、仕事を通して褒められると嬉しいじゃないですか。

仕事 = 自己表現という面はあると思うんですよね。

それが無くなってしまったら、戸惑いそうじゃない?

 

仕事をする時間がなくなったらどうするか。

マイソール大学の愚痴はあまり書きたくはなかったのですが。。

設備の関係で、研究室にいる時間はそれほど必要がないです。

 

最近は、一日に手を動かしてる時間が3時間もあれば長い方。

何が言いたいのかっていうと、3時間労働ってことですよ。

 

暇すぎるから、帰って筋トレしたり、読書したり、英語の勉強したり、オンラインで麻雀したり、映画を見たり。

選択肢がぼっちで出来ることしかないのが悲しい。。笑

 

もし皆さんが、3時間しか働けないって言われたらどうします?

 

働かなくていい未来がやってくるかも。

話題の展開がちょっと雑かもしれない。

drizzlyrain.hatenablog.com

このネタを書いたときは、書かないようにしたことが1つある。

それは「ほとんどの人間が働く必要のない未来がやってくる」ってこと。

 

世界の最前線で仕事をしてる人のコメントをNewsPicksで見ていると、人はそのうち働く必要がなくなるって言われてるんですよね。

それがいつなのかは、正確に予想するのはもちろん難しい。

 

だけど、今24歳の僕が働けるうちに起こる可能性が高いらしい

 

まあ信じる信じないは置いといて。

 

定年を迎えて、仕事に生きてきた人が、急に生きがいを失ってしまうということを耳にしたことはありませんか?

そんな風に考えると、仕事が出来なくなる時期が早まる可能性が高まっただけだなぁとも思える。

 

そしたら、仕事を中心に考えるのってなんだか悲しくなってしまって。

長時間働けない環境も悪くないと思えるようになった。

 

それまでは日本人の考え方を持ち続けていて、働けなくて虚しくなったり、やる気が失せたりしてしまったから。

 

マイソールで出会った友人たちは、早い時間に帰ってしまう人が多いかな。

 

家族サービスに時間を使う友人もいれば、コーヒーを飲みながら友人と語らったり、夕方はプールで自分を鍛える友人もいる。

信心深い人が多いので、何日か掛けて遠くの寺院にお祈りに行ったり。

 

仕事にばかり捉われないで、自分が大切にしたいと思えるものを見つけられたらいいなぁ。

社会人にすらなってないのに、定年のことをすでに意識して大丈夫なんだろうか。。

人間関係を考えるときにスッキリさせてくれる本。私とは何か「個人」から「分人」へ を読んで。

今回の内容は、ある程度歳を重ねた人にとっては、それほど新鮮な内容ではないかもしれない。

 

誰しも若いときは「本当の自分ってなんだろう」ということを考えると思う。

・・・違ったらどうしよう。

そんなときに参考になりそうな本を紹介してみたい。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

まず、この本を見た人はこう思うはず。

「分人」ってなんだろう??

 

分人というのは、筆者が新しく導入した単位のこと。

自分らしさを考えるときに、ちょっとでも助けてくれる考え方になると思う。

 

本当の自分ってなんですか??

そもそも、なぜそんな単位を生み出す必要があったのか?

「個人」という日本語からは、「分けられない」という原義を感じ取りにくい。(in+dividual = 分けられない)そんなふうに考えてみたことがなかったという人がほとんどだろう。しかし、「個人」の抱える様々な問題は、実はこの見えなくなっている語源にこそ隠されている。

当たり前だけど、個人は分けられない。

人を殺してバラバラにでもしない限り。

 

じゃあ人格の場合はどうでしょう?

バラバラにできますか?

 

そうしたら、その中に本当の自分が含まれていると思いますか?

まるで自分の中には、本当の自分と偽りの自分がいるかのような。

 

メディアもそれに一役買っていますね。

 

凶悪な事件が起きると、"普段の姿"を知っている人たちにインタビューが行われる。

「本当は、あんなことをする人だとは思わなかった。」

こんなお決まりのフレーズを耳にしたことはありません?

 

いつだってマスコミは、そういった刹那的な姿を正体のように騒ぎ立てる。

 

「本当の自分はなにか」という、考え方への違和感。

人間は確かに、場の空気を読んで、表面的には色んな「仮面」をかぶり、「キャラ」を演じ、「ペルソナ」を使い分けている

個人的には「ペルソナ」というゲームと考え方には影響を受けていて。

一番好きなゲームの1つで、続編も全てやってる僕の中ではレアなやつ。

 

3と4の音楽は、未だによく聞きながら作業してます。

www.youtube.com 

あんまりいいメドレーがYouTubeにはなかったので、一人でBGMまで全部歌っちゃった人の動画を貼っときます。笑

 

ゲーム音楽的には、3のラスボス戦は有名かも。

エヴァではカオル君の役をしてる、石田さんの声が入ってないので魅力が半減してますね。

www.youtube.com

【再UP】 ペルソナ3 全ての人の魂の戦い by boogee ゲーム/動画 - ニコニコ動画

話が脱線してきたのでカット!!笑

 

このゲーム中でも、ペルソナっていうのは心の奥底にある「本当の自分」が具現化したもの、という形で描かれるんですよね。

 

ペルソナの本来の意味も「仮面」という意味。

人には素顔(本当の自分)があって、仮面を使ってキャラを演じ分ける。

 

もしそうなら、私たちの人間関係って虚しくなりません?

さっきまで過ごしていた楽しい時間に、相手が見せていた仮初めの姿だった。

 

そんなこと考えたら疲れてしまう。

相手だってそんなつもりはなかったでしょう。

 

結局のところ、

気の置けない友人と気楽に過ごしているときも、

気が合わない人とキャラを演じながら過ごしているときも、

 

すべて本当の自分であるってことですね。

その意味では「ペルソナ」という考え方を否定していると思います。

 

やっとこさ「分人」についての話へ。

これまで、本当の自分とは?についていろいろ書いてきた。

 

この本では「構成される分人の割合によって、自分は変化する」と考えます。

分人は、自分の個性のグラデーションとでも言えばいいかな? 

その変化が、「場」に応じて自分のなかに顔を出す。

 

そして重要なのが、強い分人は、他の分人に影響を与えるということ。

 

分かりにくいので、ヤンキーになった高校生の例にしてみましょう。

なぜ彼ら彼女らが学校生活に馴染めないことが多いのか??

 

中、高校生はコミュニティが狭いので、ヤンキーでの社会が自分のなかで大きな割合を占めることが多い。

そうすると、学校での他の友人との関係は、ヤンキー仲間との分人が顔を出すのでうまくいかない。

 

ペルソナの考え方でいうと、ヤンキー仲間と過ごしてるときが本当の自分。

それ以外に人と過ごす時は、嘘の自分。

 

そうではなくて、ヤンキー仲間との分人の比率が大きすぎて、他のコミュニティでの分人に影響が出ていると考える。

人との出会いが人生を変えるということは、よく言われるが、それは言い換えるならば、自分が抱えている分人の中で、どういう分人が最も大きくなるか、ということだ。

 

生きていく上で避けられない問題。

ある人との関係が上手くいってない、つまり分人の1つの調子が悪い。

 

それが自分の中で大きな割合を占めていると、憂鬱な気分になってしまう。

だからこそいくつものコミュニティを持って、調子の悪い分人の比率を下げるのが大事。

 

さっき例を挙げたヤンキーも、周りの環境が変わって分人の比率が変われば、別人になったように思われるかもしれない。

 

なーんだ、そんなことか。

 

歳を重ねるとこの考えは当たり前すぎて、そう思う人が多いんじゃないかな。

 

けれども、なんとなーく憂鬱な気分になることってありません?

そんなときは、気付かないうちに同じ人とばかり会っているのかもしれませんよ。

 

普段話すこと機会のない人や、初めての人と会話できる場に意図的に行ってみてもいいかもしれませんね。

なんだこの出会い厨みたいな結論。。笑

 

ということで、すでに書き過ぎた感はあるけどもう少し続きます。

 

将来、働くときに意識したいこと。

分人というのを、人をマネジメントする、される際には意識したら使えるんじゃないか?

少しだけ経験はありますが、当時はそういうことを意識している余裕すらなかったので笑

 

分人の考え方を導入すると、自分のなかにはたくさんの分人がいて、

それが相手や場に応じて引き出される。

 

誰かの前でさらけ出している自分も、相手が自分に対して見せている姿も、お互いの持つわずかな一面にすぎない。

 

だから、相手が素晴らしいパフォーマンスを発揮できていなかったら、一緒に仕事をしている自分に問題があるのかもしれない。

もちろん相手に問題があるかもしれないけど、自分にできるのは自分の振る舞いを変えること。

そして相手が変わるのを願うこと。

 

働いたことすらないけど、そんなことを考える柔軟性を持てたらいいなぁ。