生活に刺激が欲しいなーと言ってるだけじゃ、いつまで経っても刺激は得られないと思う理由。
春ですね。
東京にいると花粉症がツラいので北海道が恋しくなる、すがです。
行動することが一番大事だと思っているので、以前から何度か言わせてもらいました。
けど、なんでそう思うのか。
逆に行動しない人の何が問題なのかを書いてみたいと思います。
周りにいる人でたまーにこんなこと言ってる人はいないでしょうか。
「あー、なんか刺激欲しいな。」
「なんか人生おもんない」とか
いや、もちろん文脈によるというのは前提なんだけど。
そういう発言をする人って
同じコミュニティにばかり留まって、
いつも同じようなメンバーとかばかり行動している
そういう場合は該当するのではないか?と思っています。
勿論、長い時間を共にするコミュニティを大切にすることは非常に重要。
けれども、人間は同じ刺激が与えられ続けてると、飽きてしまう生き物なので。
この話をすると、閾値という単語が頭から離れなくて理系だなあと思う笑
受験等で生物の勉強した人なら分かるはず。
何か刺激が欲しいなと言ってるだけの人は、いつまでたっても刺激を得られない。
というのが僕の考えです。
イメージとしてはこんな感じ
逆に行動できる人のサイクルはイメージとしてはこんな感じ。
違うのは後半の3つだけですね。
リスクっていうのが、凄い個人的には分岐点だと思ってます。
なぜか。
結論から言うと、行動できない人にとって、行動すること自体がリスクに感じるのではないかと思うから。
人間の思考回路にも慣れというのがあると思っていて。
行動しない選択肢を取り続けていくと、無意識のうちにその行動を選択するようになっていくと個人的には考えています。
だって、大学2年次ぐらいまでの僕がそうだったから。
彼女がいなくても、大学で講義受けたら、家に帰ってアニメとか見たり。
バイトしてお金を稼いで、いつものメンバーで飲んでいれば十分楽しいし。
だからこそ、新しいコミュニティに自分から飛び込んでいくのには、めちゃくちゃ緊張した。
でもそれを乗り越えたら、行動することに対するリスクは下がったように感じます。
当時はそんな意識はなかったけど、今思えばって感じ。
気付いたら大学院に行くことに疑問を感じて就活して、そこで学部外、大学外のいろんな人に会ったり。
休学してインドに留学することは、他の人にとってはリスクに感じるかもしれない。
けれども、僕にとってはリスクではないです。
この言い方は少し語弊があるかな。
リスクは勿論ある。
けれどもそれ以上のメリットの方が大きいと思っている。
何かを得るには、何かを犠牲にしなければならない。
あとは意識高い系というフレーズ。
巷でよく言われている言葉だと思う。
口だけだったらよくないけど、意識しないと行動なんてできない。
だから気にしなくていいと思う。
時間とかお金とかいろんなものを投資して、何かを得ているはずなので。
年齢を重ねたら、自分以外の重荷も負う必要が出てくるはず。
リスクの小さい若いうちにいろいろやっておくのはありかなと思う。
まあ偉そうにいろいろ書いたんですけど、
行動できない人は、どんどん行動できないようになっていく。
という言葉は、ワークスアプリケーションズという会社のインターンで代表の牧野さんが言っていたものです。
今でもそのフレーズは印象に残ってて、根幹の考えを担っているので記しておきます。
興味が出た大学生は、騙されたと思って説明会にでも行ってみては。
ちょっと似たようなことを書いたので更新。