ガースー日記

笑ってはいけないネタに惹かれて、昔は黒光り日記、というブログ名でやってました。(大学生のノリでした..)

北海道大学大学院を中退しました。

卒業シーズンですね。

先日、北大でも卒業式があり、友人に会いたいのもあって参加してきました。

最初は保護者席で見ようと思ったのですが、同期に交じって参加しました。

私服で参加したので、ジロジロ見られて浮いてる感しかなかった笑

 

しかしながら、僕自身は休学中の身なので卒業しません。

それどころか復学せず、中退しました。

退学って意外とすんなり終わるんだなーというのが、書類を提出した時の感想ですね。

 

教授とかにサインもらって、提出したらお終い。

理学部での事務手続きは3分も掛かってないです笑

 

インドから帰国した段階で、大学院の中退は考えてました。

この覚悟はかなり前から何となく固めていて。

 

留学した段階で、博士に行くか退学すると思っていたので。

僕が留学したのは、博士課程、研究者になる覚悟が欲しかったから。

今思うと、もうちょっと自分に優しくしても良かったかなと思う。笑

 

自分の身をどこに置くか、ということを今後は意識していきたい。

 

ただ、自分の価値観の優先順位が、研究者とは合っていないと確信した。

だから帰国したし、中退した。

 

研究するモチベーションはいろいろあると思います。

社会貢献、ポストが欲しい、何かを解き明かしたいという知的好奇心。

 

研究者は、誰も知らないことを一番に解き明かしたい。

その欲求に純粋な人であると、個人的に結論付けました。

 

周りの研究者と話していて、本当にそう思った。

 

 

日本でも、教授やいろいろな先生方と話していて、そう感じていたはず。

でも気付かなかった。

考えるのを怠っていて、日本にいたときは言語化できなかった。

 

そうやって思考を止めているから、留学してしばらくして、違和感に再度襲われた。

 

 

何かが根本的に違う。

何が、なにが彼らとは違うのか?

キラキラしている彼らの目、彼らの情熱に触れて分かった。

 

そこでやっと腑に落ちた。

絶望的な温度差を痛感して気付かされた。

 

僕自身は何かを知りたいという欲求より、人の役に立ちたいという欲求の方が圧倒的に強かった。

 

何かを解き明かしたところで、知は周知の知に変わる。

何かを解き明かすと、また新しく分からないことが生まれる。 

そうして先人たちが積み重ねた英知の上に、今の研究がある。

 

抗癌剤の研究をやりたかったのも、誰かのために役立ちたい。

そういう欲求が根底にあったから。

それを通して、自分が評価されたいという欲求があった。

 

実際の研究は地道で、孤独で、反復作業の繰り返しで、つまらないと正直感じてしまったことが多々あった。

ときどき生まれる成果や進捗でのフィードバックが、自分のやる気を潤してくれた。

 

だけど、そのスパンの長さに僕の飢えが満たされなくなった。

 

研究者は、知への欲求が上位に来るからこそ、その飢えが苦にならない。

 

だったら研究は向いている人に任せて、ビジネスの世界に飛び込もう。

 

そう思ったら、復学して修士論文を書く時間が惜しくなった。

大学院は研究者になりたいから進学したので、違う道に行くなら未練はない。

正直、かなりすっきりしてます。

 

幸い内定を貰うことができて、今は働いています。

 

ただ、こうやって決断を下したけれども、忘れちゃいけないことがある。

 

ずばり、お前は本当に本気で研究をやったのか? ということ。

 

ここ最近、ずっと心に留めていることがあります。

 

何かをすると決めるのは自分だけど、評価を下すのは他人、ということ。

 

今の話であれば、僕は研究を本気でやったしベストを尽くした。

多少経験を重ねたので、もっとやりようはあったなと振り返って思うことはある。

 

だけど、当時の自分はその経験値がなかったから。

もちろん無いなら無いなりにベストを尽くした。

 

でもそれは誰が評価する?

どこまでやれば、自分はベストを尽くしたと明確に言える?

それを決めるのは自分なのか?

 

そんなわけない。

 

他の誰かが、自分が本気でやったと認めなければ、それは本気でやったことにはならない。

 

実際に面接でも言われました。

 

君は本気でやったのか?

 

そりゃそうだ。

 

企業としては、研究を切り上げて帰国して、大学も中退して、成果も何も残してないやつをどうやって評価すればいいのか。

 

だから思った。

 

仕事を全力でやるしかないと。

明確な成果を出すと。

 

今はそれしか言えません。

 

 

中退することは、親から強く反対されました。

浪人して、なんとか北大に入って、留学までさせてもらって、期待してもらったんだなと思う。

 

親と話していて思うのが、絶望的な言葉の遠さ。

日本語で話しているはずなのに、価値観が違い過ぎて、言葉が遠く感じた。

一応、理解はしてもらいました。

 

だけど、成果を出して納得させたい。

あの時の自分の選択が間違っていなかったと、誇れるように。

今の場所で全力を尽くす。

だたそれだけ。

 

中退したときは、こんなことを考えていたなと振り返りたいですね。