僕らはみんな、うしろめたさを抱えて生きていくんじゃない?
昨日、初めて親とSkypeで話をしました。
留学し始めてから初ですね。
lineでやり取りはたまにしてたけど、最近なぜか使えないので数年ぶりに親にメールを送って。
札幌で一人暮らししてた時も、1年生のときしか電話してないかな?
なので、すごい新鮮な感じ。
まあ親と話すのが得意じゃないっていうのもある。
留学前に飲みながらいろいろ話したけど、それ自体も久しぶり。
結論から言うと、やっぱり日本に帰ることにします。
親にそのことを伝えるためにSkypeしたので。
どこかで期待に応えようとしている自分がいる気がした。
期待してくれた親。
留学を支援してくれた北大関係者の方と、現地でたくさん手助けをしてくれた人々。
たまにTwitterとかlineで連絡をくれた友人。
途中で帰国するっていうことは、そういったものを裏切るってこと。
その自分の不甲斐なさが悔しくて、申し訳なくて。
でもそれ以上に、もう嫌だっていう気持ちの方が強くなっちゃったなあ。
思えば、挫折ばっかの人生ですね。
自分から言い出して中学受験したけど、希望したところには入れなかったし。
大学受験も満足いかなかったから、土下座して浪人したし。
修士まで行って、さらには留学までして途中で帰ってくるとか。
なんとまあ、わがままな奴なんだと。
放任主義の家庭で良かったと心から思ってます。
唯一、めちゃくちゃ反対されたのが学部時代の就活ですね。
もう就活で帰省する度に考え直せって言われ続けました。
だから、大学院に行くって伝えたときの両親の嬉しそうな顔は忘れない。
自分が親に甘えてるのは事実だし、研究方面に進むことが親の期待に応えることなんだっていうのも分かってた。
ここ最近は、そういうことも言い訳にして自分を騙し続けてきた気がする。
研究に対する気持ちが冷めて、結果を残すことばかり考えるようになったのはいつからだろう。
それがどんな気持ちだったのか、今じゃもう分からない。
浪人が決まって死んでたときに母親が掛けてくれた曲。
これは好きな男の子に振られちゃった女友達を歌った曲だけど、落ち込んだ時は心に響くなあ。
うしろめたさを抱えて生きていくにした。
僕が結構自信を持ってることは、他の人にしたこと、してもらったことを覚えてることかな。
まあ悪く言えば、ねちっこいってこと笑
自分で会おうって言ったら連絡するし、口約束で言われても必ず連絡するし。
あからさまな社交辞令は置いといて。
古臭い言い方をすると義理人情を大事にしたいんですよ。
言葉にした瞬間、僕がうさん臭い人間になった気がしますね。笑
まあ何が言いたいかっていうと。。
僕はインドで自分がやらかしたことを一生忘れないと思います。
修士1年の日本人が、突然留学したいとメールを送る。
研究室の繋がりもあるし、受け入れてもらう。
研究テーマをもらって実験を始める。
あんまりうまくいかないので、別のテーマを薦められる。
やっぱり研究やりたくないから日本に帰りたいと言い出す←今ここ
めちゃくちゃ失礼な奴ですよ、ホントに。
ボロクソに言われてもぐうの音も出ない。
だからまた、贖罪として償っていく。
そういう生き方をしてきたし、この部分が自分の本質だなと思えた。
僕はだれでも、こういうことを抱えてきたと思ってる。
よくあるのが親族との死別や、近しい人が病気になってしまうとか。
元気なうちにもっとああすれば良かった。
悲しいけど、年を重ねると誰しも経験すること。
けれども、過去は変えられない。
誰だって、都合の良い言い訳を求めて格闘してる。
だって自分で自分を肯定するしかないじゃない?
そうやって、誰しも後ろめたさを抱えて生きていく。
贖罪とか書くと、どうしても暗い感じになっちゃいますね。
もっと明るい雰囲気で書ける力があれば良かったんだけどなあ。
今の気持ちをメモしておきたいので、こんな感じの展開が続く、、かも。
ネタ話を一回は挟みたいかな。