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有機合成をしてる日本酒好きな北大生が,思いついたこと垂れ流します。
3年次に就活して内定貰ったのに,やっぱ研究したいと思って大学院に進学したり ,
インドに留学するために休学したり。絶賛人生迷走中。

人間関係を考えるときにスッキリさせてくれる本。私とは何か「個人」から「分人」へ を読んで。

読書

今回の内容は、ある程度歳を重ねた人にとっては、それほど新鮮な内容ではないかもしれない。

 

誰しも若いときは「本当の自分ってなんだろう」ということを考えると思う。

・・・違ったらどうしよう。

そんなときに参考になりそうな本を紹介してみたい。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

まず、この本を見た人はこう思うはず。

「分人」ってなんだろう??

 

分人というのは、筆者が新しく導入した単位のこと。

自分らしさを考えるときに、ちょっとでも助けてくれる考え方になると思う。

 

本当の自分ってなんですか??

そもそも、なぜそんな単位を生み出す必要があったのか?

「個人」という日本語からは、「分けられない」という原義を感じ取りにくい。(in+dividual = 分けられない)そんなふうに考えてみたことがなかったという人がほとんどだろう。しかし、「個人」の抱える様々な問題は、実はこの見えなくなっている語源にこそ隠されている。

当たり前だけど、個人は分けられない。

人を殺してバラバラにでもしない限り。

 

じゃあ人格の場合はどうでしょう?

バラバラにできますか?

 

そうしたら、その中に本当の自分が含まれていると思いますか?

まるで自分の中には、本当の自分と偽りの自分がいるかのような。

 

メディアもそれに一役買っていますね。

 

凶悪な事件が起きると、"普段の姿"を知っている人たちにインタビューが行われる。

「本当は、あんなことをする人だとは思わなかった。」

こんなお決まりのフレーズを耳にしたことはありません?

 

いつだってマスコミは、そういった刹那的な姿を正体のように騒ぎ立てる。

 

「本当の自分はなにか」という、考え方への違和感。

人間は確かに、場の空気を読んで、表面的には色んな「仮面」をかぶり、「キャラ」を演じ、「ペルソナ」を使い分けている

個人的には「ペルソナ」というゲームと考え方には影響を受けていて。

一番好きなゲームの1つで、続編も全てやってる僕の中ではレアなやつ。

 

3と4の音楽は、未だによく聞きながら作業してます。

www.youtube.com 

あんまりいいメドレーがYouTubeにはなかったので、一人でBGMまで全部歌っちゃった人の動画を貼っときます。笑

 

ゲーム音楽的には、3のラスボス戦は有名かも。

エヴァではカオル君の役をしてる、石田さんの声が入ってないので魅力が半減してますね。

www.youtube.com

【再UP】 ペルソナ3 全ての人の魂の戦い by boogee ゲーム/動画 - ニコニコ動画

話が脱線してきたのでカット!!笑

 

このゲーム中でも、ペルソナっていうのは心の奥底にある「本当の自分」が具現化したもの、という形で描かれるんですよね。

 

ペルソナの本来の意味も「仮面」という意味。

人には素顔(本当の自分)があって、仮面を使ってキャラを演じ分ける。

 

もしそうなら、私たちの人間関係って虚しくなりません?

さっきまで過ごしていた楽しい時間に、相手が見せていた仮初めの姿だった。

 

そんなこと考えたら疲れてしまう。

相手だってそんなつもりはなかったでしょう。

 

結局のところ、

気の置けない友人と気楽に過ごしているときも、

気が合わない人とキャラを演じながら過ごしているときも、

 

すべて本当の自分であるってことですね。

その意味では「ペルソナ」という考え方を否定していると思います。

 

やっとこさ「分人」についての話へ。

これまで、本当の自分とは?についていろいろ書いてきた。

 

この本では「構成される分人の割合によって、自分は変化する」と考えます。

分人は、自分の個性のグラデーションとでも言えばいいかな? 

その変化が、「場」に応じて自分のなかに顔を出す。

 

そして重要なのが、強い分人は、他の分人に影響を与えるということ。

 

分かりにくいので、ヤンキーになった高校生の例にしてみましょう。

なぜ彼ら彼女らが学校生活に馴染めないことが多いのか??

 

中、高校生はコミュニティが狭いので、ヤンキーでの社会が自分のなかで大きな割合を占めることが多い。

そうすると、学校での他の友人との関係は、ヤンキー仲間との分人が顔を出すのでうまくいかない。

 

ペルソナの考え方でいうと、ヤンキー仲間と過ごしてるときが本当の自分。

それ以外に人と過ごす時は、嘘の自分。

 

そうではなくて、ヤンキー仲間との分人の比率が大きすぎて、他のコミュニティでの分人に影響が出ていると考える。

人との出会いが人生を変えるということは、よく言われるが、それは言い換えるならば、自分が抱えている分人の中で、どういう分人が最も大きくなるか、ということだ。

 

生きていく上で避けられない問題。

ある人との関係が上手くいってない、つまり分人の1つの調子が悪い。

 

それが自分の中で大きな割合を占めていると、憂鬱な気分になってしまう。

だからこそいくつものコミュニティを持って、調子の悪い分人の比率を下げるのが大事。

 

さっき例を挙げたヤンキーも、周りの環境が変わって分人の比率が変われば、別人になったように思われるかもしれない。

 

なーんだ、そんなことか。

 

歳を重ねるとこの考えは当たり前すぎて、そう思う人が多いんじゃないかな。

 

けれども、なんとなーく憂鬱な気分になることってありません?

そんなときは、気付かないうちに同じ人とばかり会っているのかもしれませんよ。

 

普段話すこと機会のない人や、初めての人と会話できる場に意図的に行ってみてもいいかもしれませんね。

なんだこの出会い厨みたいな結論。。笑

 

ということで、すでに書き過ぎた感はあるけどもう少し続きます。

 

将来、働くときに意識したいこと。

分人というのを、人をマネジメントする、される際には意識したら使えるんじゃないか?

少しだけ経験はありますが、当時はそういうことを意識している余裕すらなかったので笑

 

分人の考え方を導入すると、自分のなかにはたくさんの分人がいて、

それが相手や場に応じて引き出される。

 

誰かの前でさらけ出している自分も、相手が自分に対して見せている姿も、お互いの持つわずかな一面にすぎない。

 

だから、相手が素晴らしいパフォーマンスを発揮できていなかったら、一緒に仕事をしている自分に問題があるのかもしれない。

もちろん相手に問題があるかもしれないけど、自分にできるのは自分の振る舞いを変えること。

そして相手が変わるのを願うこと。

 

働いたことすらないけど、そんなことを考える柔軟性を持てたらいいなぁ。

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