留学先としてインドはどうなのか?
久しぶりにいろいろ考えてたことを垂れ流してみたい。
留学して1カ月ちょい経つと感動が薄れる、ということは耳にしてた。
新しい環境に飛び込めば、「慣れ」というものは生じるもの。
実際にそれだけの時を過ごし、どんな感覚が自分のなかに生まれたのか。
コミュニティの大切さ。
留学先としてマイソールを選んだのは、日本人がいる所に行きたくない。
というのが理由の1つだった。
その結果として寂しさを感じることはもちろんある。
けれども、中国人や東南アジア系の留学生同士が仲良くしてるのを頻繁に見かけると、間違ってなかったかなとも思う?
相手が英語を話せなくても、僕はその日本人を頼ってしまっただろう。
がんばって英語を話し続けて、冗談も飛ばし合えるような友人もできた。
友人が友人を紹介してくれたりした。
これからも頼ることのできるコミュニティは増やしていきたい。
人種とか言語とか、そんなものは関係なくて。
ヒトとして、コミュニティがないと生きていけない、ということを改めて噛み締めてる。
マイノリティであるということ。
僕がかなり後悔してるのが、インド人の母国語が英語じゃないこと。
やっぱり友人同士だと現地の言葉で話します(当たり前)。
日本語でいう横文字、みたいな感じでたまに名詞が出てくることはある。
けどまあ、基本的に何言ってるか意味わからん笑
インド人同士が笑ってるところでも、一人だけボケーっとしてる。
多少は慣れたけど、寂しい瞬間には変わりないですね。
そういう意味で日本に来ている留学生を心の底から尊敬したいと思う。
日本に住んでいる日本人の多くは、英語を話す必要がない。
僕もあまり話せなかったし、話せない人も多い。
北大の学科ではインド人が多いから、コミュニティができてる。
だから、インド人は楽しそうにやってます。
けれども、マイナーな国から来た人はどうしているんだろう。
昔ラボにいたフィリピン人やエチオピア人の友人のことを思い出しました。
アメリカでは普通なんだろうけど、日本ではマイノリティであることは意識せざるを得ない。
そういう意味ではマイソールも同じですね。
働くことは美徳なのか?
スローライフが味わえる。
というのが、インドに来る前に何度か目にした言葉でした。
実際どうなのか??
端的に言えば、味わえると思う。
仕事がなさ過ぎて、何かやらせてくださいってボスに直訴したぐらい。
「インドまで来て、何してるんだろう?」というのが、暇を持て余していたときに芽生えた感情。
不安、焦り、危機感。
そういったものにざわつきを覚えたんだと思う。
ちょうど似たような感覚を抱いたブログがあったので、貼っておきたい。
ここは1ヶ月たってもなお”最高”だし、友達との時間も楽しい。
ただあまりに平和すぎて、心がざわつくのだ。
不意に自分を見失いそうになる。
自分がしたいこと、しあわせとおもうこと、なりたい自分。
それらを見失いそう、と思いつつ、「”なりたい自分”」という言葉でさえ、ここではなにか存在が危うくなる。
太陽は「これ以上何が必要なの?」と問いかけてくる。
わたしは「そうね。これで十分かも」と答えそうになる。
留学した友人や、Twitter上でやり取りをしたときにも感じたこと。
働くことが美徳だと思ってる?
仕事を通して承認欲求を満たしたい?
どこかで耳にした言葉だけど、体感するのは初めて。
日本にいた頃は実験ばかりしていたから。
ここにきて、時間が生まれてよく考えるようになった。
自分は研究が好きなのか、それとも研究をしている自分が好きなのか。
日本にいた頃は好きだと思ってたんですけどね、研究。
のんびりと楽しそうに過ごしている友人を見ていると、
がりがり研究(仕事)しなくていいんじゃないか?と感じたり。笑
僕にとってマイソールは平和過ぎたのかもしれない。
まあ最後の3つ目は、あくまで1カ月ちょいの感想。
合理性は後付け。
これは「未来に先回りする思考法」で非常に影響を受けた言葉。
1カ月で結論を出すなんて早すぎる。
2つ目はウェアラブルの翻訳機が出来れば解決できる。
だけど、さすがにこの1年じゃ無理でしょう。
不満を持ってるなら、他の2つをどうにかしないと。
そしたらまた、インドに対する僕の感覚が変わるはず。
なのでインドが留学先として良かったかどうかは、今じゃ判断できない。
10カ月後の僕が判断するでしょう。
良いのが思いつかなかったんだけど、タイトル詐欺かな、これ。